山田 祥平 2022年5月7日
コロナ禍がコミュニケーションツールとしてのPCの役割を大きく進化させている。今回は、そのうち、カメラの著しい進化について考えてみる。
見る、撮る、撮られる
スマホにおける自撮りの文化は撮る人と撮られる人を同化させた。スチル写真のみならず、ムービーにおいてもだ。
このスタイルは1990年代初頭に、専用機としてのビデオカメラが今でいうところのEVF(液晶ビューファインダー)に加えて、液晶モニターを備えるようになってからだと思う。
1992年に発売されたシャープの液晶ビューカムVL-HL1の大ヒットが知られているが、見る、撮る、撮られるの1人3役を気軽にこなせるデバイスだ。
今のスマホにおける自撮り文化はその延長だと考えることができる。
一般に、カメラの進化というと、さまざまな機能の自動化の歴史がある。
フィルムの時代のスチルカメラでいうなら、最初にAEやEEで露出が自動化され、次に、オートフォーカスで合焦が自動化されている。
デジカメの時代になってからは、絞りとシャッター速度に加えて、ISO感度の動的な変更が露出を決める1要素として考えられるようになったし、ホワイトバランスのような概念も考える必要がでてきた。
ピントについては動体予測や瞳検出などが加わった。
そしてこれはムービー撮影についても同様で、撮る人、撮られる人がシームレスになっていったのと同様に、スチルとムービーの境目についても曖昧なものになりつつある。
というか、その曖昧さが1つのカテゴリとして認知されるようになったわけだ。
シンガーソングライターが歌う曲を自分で作詞作曲し、分業だった楽曲制作を1人でこなすようになったかのようなイメージだが、ちょっと違う。
そこには、機能の自動化という重要な要素があるからだ。
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PC Watchより